ウスマーン・レアーズ
アニメーター・アーテイスト
ウスマーン・レアーズはパキスタン・カラチ在住のアーティスト、作曲家、アニメーターである。20歳でTED Fellowに選ばれ、エジンバラで開催されたTEDGlobal 2012で彼の音楽やアートを紹介した。TEDをプラットフォームとして使い、伝統的なセルアニメ(手書きでセル画を作る手法)をパキスタンに紹介するという夢を追求している。彼は日本のアニメを見て育ち、スタジオジブリの映画をきっかけに、アニメを愛するようになった。日本のアニメは、彼が自身のMano Animation Studioを設立するモチベーションとなり、現在はパキスタン・マレーシア・南アフリカ・アメリカ・イギリス、そして日本からのクリエーターチームと共に、初のセルアニメ映画「The Glassworker」を制作している。セルアニメはパキスタンでは前例がないが、ウスマーンのチームは、アニメへの愛と情熱を持ってその道を一歩一歩進んでいる。
白川優子
看護師
国境なき医師団の看護師として、世界中の紛争地で活動を続けている白川優子。大きな英語の壁を何年もかけて乗り越え、2010年に幼少の頃から憧れ続けていた国境なき医師団に参加。以来、シリア、イエメン、南スーダン、ガザなどの紛争地に7年間で17回派遣されてきた。数々の紛争地で目の当たりにしてきたのは、戦争に加担をしていない全く罪のない一般市民が血を流しているという現実だった。彼女は、現場で医療活動を行うだけではなく、自分が紛争地で目撃したことを記録、証言するという活動も行なっている。戦争を止めるための活動に直結しない看護活動に失念を抱き、一時は看護師をやめてジャーナリストになる決断をしたが、それでも戦闘音の鳴り止まない現場で傷ついた多くの患者の元で看護師として寄り添うことを選んだ。
利茶土ミルグリム
茶陶家
アメリカ人陶芸家であり、長年日本に暮らす利茶土ミルグリムは1977年に初来日、1979年京都の裏千家宗家で積極的に茶の湯を学び、その後4カ所で修行。京都近郊に1985年 “利茶土窯”を築き独立。 2000年米国マサチューセッツ州コンコードに二つ目の工房 “今古窯”を確立。茶陶を通して互いを尊重し、日米両文化の相互理解を深めることで、利茶土は茶の湯と茶器を楽しむということが、どれほど現在の世界にも通じる大切なものであるかということを教えてくれる。茶の湯、特に茶碗は、類のない思索的な瞬間を共有する人々を繋げ、国籍やバックグラウンド、年齢に関わらず、毎日の生活の中に“和・敬・清・寂”の世界を創り出し感謝の念をもたらすという役目を担っているのである。
垣内俊哉
起業家
垣内俊哉は、バリアバリューを体現する起業家である。幼少期から骨が脆く折れやすい難病により車いすで過ごす。彼は、障害を価値に変える「バリアバリュー」を提唱し、2010年、大学在学中に株式会社ミライロを設立。日本国内の3人に1人が必要とする「ユニバーサルデザイン」を世界に広げている。障害者や高齢者、その家族の生活の妨げになる「環境・意識・情報のバリア」を解消する事業を立案。障害者や高齢者への向き合い方「ユニバーサルマナー」の普及や、バリアフリー情報を発信するアプリ「Bmaps」の開発など、展開は多岐にわたる。2018年、Japan Venture Awards最高位「経済産業大臣賞」を受賞、同年「ガイアの夜明け(テレビ東京)」に登場。著書に「バリアバリュー(新潮社)」がある。
吉川プリアンカ
モデル/起業家
吉川プリアンカは東京で生まれ、幼少期をアメリカとインドで過ごす。帰国後、ハーフであることから経験した”いじめ”を契機にモデルを志す。2016年、ミスワールド日本大会にて66年の歴史で初めてハーフの日本代表に選出。(世界大会ではトップ20位に選出) 。2017年、京都国際観光大使を拝命。ツーリズムを通じて、インドと日本の絆を深める活動をしている。また、子どもの口蓋裂の治療支援を行うNPO法人「スマイルアジア」、東ヒマラヤの継続的な町興しや環境保全、野生象の保護を行うNPO法人「バリパラ・ファウンデーション」の国際大使を兼任。 2017年、株式会社ReRを設立し、データマーケティングを中心に、117カ国のインフルエンサーを利用した広告業を行っている。今後は、国内のみならず世界にも影響を与える女性起業家を目指す。
エリザヴェータ
ミュージシャン
歌声と物語、音風景を織り交ぜながら、オペラをポップ、ソウル、エレクトロといったジャンルと融合させ、卓越したライブパーフォーマンスを繰り広げるエリザヴェータ。 ロシア出身で、南カリフォルニア大学にオペラを学んだ彼女は、マルチリンガルなボーカリスト、作曲家にしてプロデューサーだ。2012年米ユニバーサル・レコードからのデビューで軒並み高い評価を得て以来、その楽曲は映画、人気テレビシリーズやゲームに登場してきた。これまでにシネイド・オコナー、モーチーバ、ロシアのベテランロックバンドB2といったアーティストとツアーを共にし、TEDのステージでも度々演奏している。現在は日本に住み、2018年11月下旬には、自身初の日本語デュエット・アルバムのリリースを予定している。。
和田賢一
人命救助者
「失敗をしてはいけない」という恐れから投球が出来なくなり野球で挫折を経験した和田賢一。「夢中になれるものを見つけたい」と、後に様々なスポーツに挑戦するも上手くいかず人生に落胆していたある日、Lifesavingとその競技であるBeach Flagsに出会った。公園の砂場での10万回のスタート練習。世界王者に挑戦する為に渡豪。走力向上を目指して、ウサイン・ボルトに挑戦した単身ジャマイカ修行を経て、Beach Flagsの日本タイトルを7回、世界選手権銀メダルを獲得。その経験を通じ、結果よりも皆で助け合い挑戦する「過程」の大切さを感じ、自殺率が高く子供が夢を持てないと言われる現代社会に、「誰もが誰かのLifesaverに」という考え方を発信している。
バイエ・マクニール
著者・活動家
ニューヨーク市、ブルックリン出身のバイエ・マクニールは2004年に訪日。好評を博した書籍「Hi! My Name is Loco and I am a Racist」と「Loco in Yokohama」の著者。ジャパン・タイムス紙に毎月連載中のコラム「Black Eye」では、日本において、人々に「黒人に対する正しい認識」を持つように促している。2015年には日本のテレビ番組におけるブラックフェイス を使ったミンストレル・ショーへの抗議行動を行い、これを成功させた。その活動家精神は世界的に関心の的となり、ニューヨーク・タイムズ紙、ハフィントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル紙、USAトゥデイ紙等も特集記事を組み取り上げた。バイエはまた、社会がより多様になりさまざまな人々を受け入れるという、望ましくかつ避けがたいゴールを日本が実現できるよう、少しでも支援したいという気持ちから、全国の企業や大学で、多様性と人種問題についてワークショップやセミナーを行っている。
諸橋寛子
ユナイテッド・スポーツ・ファウンデーション代表
福島県いわき市生まれの諸橋寛子は、大学卒業後商社勤務を経て、創業者の父が経営していた洋服やスポーツ用品の小売業に15年ほど携わる。しかし、2011年3月11日の東日本大震災で約70店舗が崩壊。復興支援活動を通じ、全ての人に勇気や感動を与えることができる「スポーツの持つ力」を再認識し、同9月、一般財団法人UNITED SPORTS FOUNDATION(USF)を設立。 設立から7年、スポーツを通じて健康的な社会の創造発展、未来を担う子供達の育成貢献を理念とし、日本全国で約60万人の子供達と触れ合い、スポーツ文化振興活動に尽力している。子どもたちの笑顔を引き出し、さらには性別や年代を越えて感動を共有することができるスポーツ。その「スポーツの力」で、人々の心が動き、成長することを伝えたい。
アリー・モブズ
音響デザイナー・ビートメーカー
アリー・モブズは英国出身で、現在は京都を本拠に活動する音響デザイナー兼プロデューサーだ。彼は音楽レーベルGohan Tapesの共同創始者であり、Kyoto Beat CrewとイベントFrequency Punchのメンバーでもある。サンプラー、フィールドレコーディング、手作りの電子楽器を使って、ヒップホップからインスパイアされたインストゥルメンタル音楽を作り出し、Ableton Push(指で音楽を作るインストゥルメント)を使ってライブ演奏を行う。2009年に来日後、自作のMidiコントローラーを使い電子音楽のソロ・ライブをスタートした。サーキットベンドと自作の電子楽器を制作及びライブに取り入れて実験をはじめたのもこの頃である。彼はまた、楽器とマイクのデザインも行い、しばしば自身のフィールドレコーディングと音響実験を重ねている。フリーの音響デザイナーとして、ゲーム音楽やVR(仮想現実)プロジェクトに携わると同時に、いくつかのアニメーションスタジオと仕事をし、ニューヨークタイムズ、ガーディアン、セイコー、レッドブル、Third Man Recordsのためのプロジェクトにも関わっている。
中込孝規
世界一周ダンサー
中込孝規は、日本とアフリカを始め、世界中の子供たちを「ダンス×ネット中継」でつないでいる。大学在学中にオールジャパン学生ダンス選手権大会で優勝し、卒業後はベネッセに就職。退職後、夢だった「世界一周!1万人の子供にダンスを教える旅」に出た。旅での経験から、「国・言語・文化の違いを超えて、世界中の子供たちが出会い、学び、友だちになれる社会を作りたい」という想いを抱き、帰国後、湘南と東京で「世界とつながるダンス教室」を開講。日本全国・世界中でダンス交流ワークショーップを実施しながら、湘南ひらつかを拠点に子供たちの世界・可能性が楽しく広がる場づくりをしている。今までに22か国1万5千人以上にダンスを教えてきた。2017年、世界経済フォーラム・ダボス会議により、世界の33歳以下の若手リーダーGlobal Shapersに選出された。
谷本綾香
Opera Singer
谷本綾香は忍者の里、伊賀上野にて陶芸家の家に生まれ、物心ついた時から音楽好きの父が歌うビートルズなどを聴き育つ。その後、ヒップホップやR&Bに影響を受け、15歳で京都のライブハウスでソウルバンドとライブを行う。マルチカルチャーな環境で育ち、年に数ヶ月はイギリスやスペインで過ごし、京都インターナショナルスクールと大阪インターナショナルスクールで教育を受ける。大学からロンドンに移住し、英国王立音楽大学と英国王立スコットランド音楽大学にて声楽を専攻して以来、ヨーロッパを中心に数々のオペラ公演に出演。精神と身体のバランスにも興味を持ち、パーソナルトレーナーの資格を取得。オペラを歌う傍らフィットネスのトレーナーとしても活動中。現在はヨーロッパと日本を行き来し、日本で新しく始動するオペラプロジェクトを企画中。
矢野裕巳
平和活動家
1999年の初めてのイスラエル訪問以来、矢野裕巳はイスラエルとパレスチナを分断する衝突に注視しながらその歴史や文化、政治に関心を寄せてきた。京都府綾部市に本拠地を置く宗教法人大本の代表としてイスラエルを含む35か国を訪問し、宗教間の対話の促進や平和活動に積極的に取組んでいる。1999年には綾部市長よりエルサレム市長にあてた親書を届け、二都市は友好都市宣言に調印した。それ以来両地域での紛争等で肉親を亡くした子供たちを日本に招き、ホームステイや市民との交流を通してお互いを理解し、平和の大切さを体験してもらう「中東和平プロジェクト」を主催している。このプロジェクトや数えきれない中東への訪問を通して得た、双方に対する深い理解と広い視野を多くの人と共有する活動を行っている。
伊藤美樹
宇宙工学技術者
日本大学大学院航空宇宙工学専攻修了後、内閣府最先端 研究開発支援プログラム「(通称)ほどよし超小型衛星 プロジェクト」にて、2機の超小型人工衛星「ほどよし3号機」 「ほどよし4号機」の熱・構造設計、試験業務に従事する。 その後、およそ1年間、外国人留学生の衛星製造の指導や開発 サポート業務を経て、2015年4月アストロスケール日本R&Dに 入社、同社代表取締役社長に就任。エンジニア業務も兼任 しており、現在はデブリ除去衛星実証機、「ELSA-d(エルサ・ ディー)」の開発に取り組む。2018年には、「Forbes Emergent 25」 日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2018」に選出、 アストロウーマン賞を受賞。
ガブリエル・デユケ
駐日コロンビア大使
駐日コロンビア大使、ガブリエル・ドゥケは経済外交を専門としており、制度構築とガバナンスに特に造詣が深い。コロンビアの代表として在ジュネーブ世界貿易機関 (WTO) コロンビア代表部常駐代表大使、世界知的所有権機関 (WIPO) コロンビア代表部次席大使を務め、コロンビア商工観光省貿易副大臣、コロンビア商工観光省国際交渉官、コロンビア国家計画庁企業開発局長を歴任した。 ロスアンデス大学経営工学科を卒業後、ロンドン大学経済政治学院 (LSE) にて経済学修士号 (M.Sc.)を、又米国ニューヨーク大学にて経済学博士号 (Ph.D.)を取得した。コロンビアをはじめ米国、欧州の大学にてゲストスピーカーとして数々の講演を行ってきた経験を持つ一方、産業組織、生産性、競争力の分野で研究に従事してきた。